株式会社オキの歴史 STORY
材木商としての創業、そして製材業へ
1921(大正10)年、株式会社オキの創業者沖守(現社長の父)は、広島県世羅郡に七人兄弟の末っ子として生を受け、十歳にして母親を二十歳にして父親を亡くし、兄姉に支えられながら育った。第二次世界大戦では海軍士官特攻隊員として命をかけて国を守る覚悟であったが、出撃前に終戦となり敗戦のショックと価値観の崩壊で、帰省後は失意の数年を過ごす。
その後、親戚である尾道の難波木材へ勤め、材木業としての基礎を学んだ。当時の尾道は、木造船の造船所がひしめく一大拠点となっていたため、活気のある日々を過ごす中で次第に正気を取り戻していく。
1954(昭和29)年一念発起し、松永市(現在の福山市)で材木商として独立開業する。松永は当時おだやかな湾にたくさんの木材が浮かぶ広い貯木場となっていた。数年後、湾に隣接して製材所を設け、北米から輸入した原木で良質な造作材(ぞうさくざい:住宅の内装材)を製材するようになる。
無節で芯のない木材は全国的にも希少で、海に浮遊する機雷(きらい)の除去をおこなう海上自衛隊の掃海艇(そうかいてい)にも採用された。







製材業から住宅メーカーへ
木材の輸入元である海外で大きな原木の輸出規制が始まり、良質材入手が困難となった。
国内製材業全般が徐々に衰退する状況下、大手プレハブメーカーが台頭するようになり、生き残りをかけて大工集団と共に住宅建築を請け負う「新しい住まいの会」を結成し建築の請負を始め、次第に元請け建設業へと転換していく。
1984(昭和59)年、北米で行われていたツーバイフォー工法を採用。南蔵王の地にモデルハウスを建築し、住宅会社としての営業展開を開始する。
1985(昭和60)年、長男沖裕人が日本IBMを退職し帰郷。住宅建設部門の責任者となる。
1988(昭和63)年、34年続いた製材業を終了する。
創業25周年記念「念ずれば花ひらく」石碑建立
1988(昭和63)年、創業者沖守が、尊敬する仏教詩人坂村真民先生の大真言碑を、創業25周年記念として会社入口の緑地に建立させいていただいた。
この時第110番碑であったが、現在では世界にも広がりその数は800を超えている。

歴史的建造物の拝命
創業者沖守が、長い経営の苦難の中で心の拠り所として座禅修行をおこなっていた三原の大本山仏通寺より、1984(昭和59)年、鐘楼新築のご用命をいただく。
総ケヤキ造りで釘を一本もつかわない宮大工の技法での建築であった。
また1997(平成9)年、仏通寺開創六百年の記念事業として、新禅堂「歇得堂(けっとくどう)」建築のご用命をいただく。
厳しく道を極めようとする修行僧のための精神性高く長年の風雪に耐えうる建造物である。
共に木材調達・製材・乾燥から自社で行い、長年の同志であった地元大工の協力を得て完成に至った。




経営の多角化として「漢方智光薬湯ヘルス福山」開設
1985(昭和60)年1月、時代の変化に対応して経営基盤の強化を図るため、来たるべき高齢化社会を担う事業として「漢方智光薬湯ヘルス福山」を創設し健康産業に進出する。
この薬湯は霜鳥信明先生が開発された外用薬「糾励根(きゅうれいこん)」を浴剤としたもので、弘法大師ゆかりの湯として、7種の漢方生薬を麻袋に入れ毎朝縛り出して作る濃い茶褐色の薬湯で、地域の人々の健康増進に貢献し大いに活況を呈した。
入口前のお大師像の賽銭箱には毎日お客様の善意が入れられ、毎年年末には福山市の福祉へ寄付させていただいた。
2008(平成20)年、施設老朽化のため薬湯事業を終了した時点で、浄財の寄付は三百数十万円となった。
有機農業資材「アルム農材」創設
「ヘルス福山」の常連客の一人が、薬湯の成分抽出後の生薬を畑に施したところ、色艶の良いおいしい野菜が沢山収穫でき、しかもダニなどの害虫が寄り付かなかった。
当時農薬の環境汚染が連日報道されていたことから、農業分野での応用を考え、福山大学薬学部の八木教授(現顧問)を訪ねて産学連携での研究が始まり、今でいう環境保全型農剤を完成させ、ヘルス福山開設と同年9月、アルム農材事業部として農業資材産業への進出が始まった。
この後数年の歳月と多額の費用をかけて日本で唯一、漢方原料の農薬登録を取得。
以来一貫して人にも環境にも安全な有機JAS適合を取得したバイオスティミュラント資材として、開発・製造・販売を行なっている。
創業40年、社長交替
1994(平成6)年、創業40年時、長男沖裕人社長就任。沖守会長就任。
社長交代式において、沖守会長より以下2本の直筆の掛け軸を賜る。
●「人間本来無一物」(にんげんほんらいむいちもつ :人はみな裸で生まれ裸で死んでいく、執着すべきものは何一つないという教え。)
●「人生我以外皆師也」(じんせいわれいがいみなしなり :自分以外の人、モノすべてが自分の足らざるを教えてくれる、その謙虚な心が人を磨いていくという教え)
鉄筋コンクリート断熱工法への挑戦
1996(平成8)年、北米で開発された鉄筋コンクリート内外両断熱工法(ICF工法)を採用。
これは発砲断熱材を、型枠材かつ断熱材として2次利用するもので、型枠大工などの専門工を必要とせず、高気密・高断熱・高耐震、高遮音性でしかも省メンテナンスの建築となる。
この工法を用いてマンションを商品化、賃貸住宅事業での差別化を図る。
広告宣伝はほぼなかったが、長年をかけて主にプロの不動産オーナー、不動産会社、大手企業の不動産部門などに徐々に評価が広がり、リピート採用が続くようになる。
花配りの開始
1997(平成9)年、3%から始まった消費税が5%に引き上げられたこの年、住宅着工戸数は全国的に25%前後の大幅な落ち込みとなり、弊社も例外ではなかった。
この危機に際して会長となった沖守は、新規客の獲得ではなく、建築いただいた既顧客への感謝の思いに至り、年末に紅白の葉牡丹を約2000件余りの全戸に手配りを始める。
以降、アフターメンテナンスを兼ねた年2回の花配りとして、会社を挙げての恒例行事となる。




リフォーム事業の開始
1998(平成10)年、アフターメンテナンス業務を重要視し、ベテランの現場監督を中心にリフォーム事業部を立上げる。住宅既顧客や紹介などでほぼ営業活動なしの事業部となる。2002(平成14)年、環境問題に対応するため太陽光発電システム事業を、リフォーム事業部で開始。
リフォームページを見る農業用ビニールハウス建設の開始
2022(令和4)年、激化する気候変動に対応するため、広島県農業試験場より建築用足場管を利用したビニールハウス建築の打診があり、建築と農業の両方に取り組む弊社のノウハウを活かして、農業の負担を軽減させる次世代スマートハウスへの取り組みを開始。
現在までに5物件が完成。
有機農業資材とともに今後の成長分野として建設部門と連携した事業拡大を推進する。
6事業による経営の安定化
2024(令和6)年、創業70年となる現在、建設4事業(賃貸マンション、一般建築、戸建住宅、リフォーム)と農材2事業(有機農業資材、足場管ビニールハウス)、全6事業の構成とし、地域のニーズに応え補完し合える体制を構築し経営の安定を図り現在に至る。
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